新しい古典としての『古事記』 |
津田博幸 [執筆] |
書物として見る古典文学の新しい解釈の行方 : 萬葉語「隠沼」の歴史的変遷をめぐって |
ローレン・ウォーラー [執筆] |
「産む性」の拒否・『竹取物語』かぐや姫の思想 : 異人に照らし出される「この世」の論理 |
東原伸明 [執筆] |
土左日記の「本領発揮」のために |
鹿島徹 [執筆] |
〈歌〉の『伊勢物語』と〈語り〉の『大和物語』 : 「語り」と言説分析・『大和物語』の散文的機能の再評価を焦点に |
東原伸明 [執筆] |
『枕草子』「したり顔」の呪縛を乗り越えて : 「くらげの骨」と「香炉峰の雪」と |
津島知明 [執筆] |
新しい古典としての日記文学 : 『土左日記』から『更級日記』まで |
山下太郎 [執筆] |
「光源氏」とは何か : 「プレイボーイ」とは異なる古代物語の主人公像 |
東原伸明 [執筆] |
『源氏物語』続編の「ましかば」 : 次世代に伝えたい、自己と向き合う物語 |
吉澤小夏 [執筆] |
日本初の長編物語の作り方 : 『うつほ物語』の軌跡 |
本宮洋幸 [執筆] |
「虫めづる姫君」の教え |
横溝博 [執筆] |
『とりかへばや物語』 : 男装の女君・女装の男君の物語 |
伊達舞 [執筆] |
『古事談』 : 「抄録の文芸」 |
蔦尾和宏 [執筆] |
『徒然草』をひらく : 「傷つきやすく柔らかな心」を抱えた読者へ向けて |
田村美由紀 [執筆] |
新しい古典としての西鶴 |
塩村耕 [執筆] |
長塚節『土』を読み継ぐ : 一九一〇年の国土 |
永井聖剛 [執筆] |
中国故事の享受・受容と現代日本人 : 古典漢文の素養を掘り起こす中での再認識 |
井上次夫 [執筆] |
古くて新しい古典教育の問題 : 「古典」の位置付けと古典教育に必要な視点 |
井上次夫 [執筆] |
昔話教材を使った古文入門教育/指導法へ : 小中接続を意識した「主体的・対話的で深い学び」のための教材n度読みの試み |
高木史人 [執筆] |
古典の新しい指導法 : 『更級日記』「門出」を教材として |
山下太郎 [執筆] |
『伊勢物語』「筒井筒」の学習指導法 : 我が事として理解し、表現させる |
井上次夫 [執筆] |
田楽と御霊会からみた民衆文化 : 「古典」としての『今昔物語集』 |
木村茂光 [執筆] |
「三千五百万人の末弟」が残したもの : 植木枝盛『民権自由論』(一八七九年) |
ヨース・ジョエル [執筆] |
「昔話」から「昔語り」へ : 昔語りを「聴く」姿勢を幼小接続に活用する |
高木史人 [執筆] |
新しい古典としての『古事記』 |
津田博幸 [執筆] |
書物として見る古典文学の新しい解釈の行方 : 萬葉語「隠沼」の歴史的変遷をめぐって |
ローレン・ウォーラー [執筆] |
「産む性」の拒否・『竹取物語』かぐや姫の思想 : 異人に照らし出される「この世」の論理 |
東原伸明 [執筆] |
土左日記の「本領発揮」のために |
鹿島徹 [執筆] |
〈歌〉の『伊勢物語』と〈語り〉の『大和物語』 : 「語り」と言説分析・『大和物語』の散文的機能の再評価を焦点に |
東原伸明 [執筆] |
『枕草子』「したり顔」の呪縛を乗り越えて : 「くらげの骨」と「香炉峰の雪」と |
津島知明 [執筆] |